はじめての仏教

日本の宗教や、お釈迦様の教えについて考えていきます。

釈迦の生涯と仏教の始まりについて

日本では「お釈迦様」や「ブッダ」といって親しまれている仏様ですが、本名はガウタマ・シッダールタと言います。以後このブログでは、釈迦と呼んでいきます。

※釈迦とは、釈迦牟尼釈迦族の聖者)という言葉を略しています。

 

釈迦は、インドの釈迦族の王子として生まれました。つまり釈迦とは種族のことなんです。

ブッダという呼び方もありますが、ブッダとは「悟りを開いた者」を指します。なので釈迦だけでなく、悟りを開いたら誰でも「ブッダ」となるのです。

 

釈迦の生涯

釈迦が生まれたのは、紀元前624~463年頃です。生まれてすぐに7歩も歩き、右手を上に、左手を下げて「天上天下唯我独尊」と声を出しました。

釈迦は、仙人や神々から「人間のなかの最上者であり、生きとし生けるものを救うために生まれてきた」と称えられます。

釈迦が誕生してから国は栄え、平和になりました。すべてが上手くいったことからシッダールタ(成就)と名付けられました。

 

生老病死について悩むようになる

釈迦が生まれて7日後、実の母親が亡くなってしまいます。継母にも実の母に劣らぬほど愛情深く育てられ、恵まれていましたが、釈迦はなにか物足りない思いもありました。

こういった経験からなのか、やがて釈迦は老人・病人・死者を見て悩み始めるようになります。

「いつかは病になり、死が訪れる」。釈迦はこの事実を知り、恐怖に陥ったのです。

釈迦が出家してしまうと、後継ぎがいなくなってしまいます。そこで王は釈迦を留まらせるために、何不自由ない暮らしをさせました。

しかし、美しい妃や自身の子どもが出迎えてくれたり、美人揃いの女官にねぎらわれても、釈迦の心は少しも動きませんでした。

そうして釈迦は、29歳で出家の道を選びます。

 

6年間の苦行では何も得られなかった

釈迦は様々な苦行を経験しました。

心を制御する苦行、呼吸を止める苦行、絶食による苦行、滅食の苦行などを行いました。

体はやせ細り、力がなくなった釈迦は倒れこんでしまいます。

命がけの苦行を行ってきましたが、心はやすらぎを得ることはありませんでした。

こうして釈迦は苦行を捨て、村の娘から乳がゆの布施を受けます。

このとき、釈迦の様子を見ている5人の修行者がいました。彼らは釈迦が悟りを開けると信じ、一緒に修行をしていました。

そのため釈迦が修行を捨てて、若い娘から乳がゆを与えられて喜んでいる姿に彼らはがっくりとします。もう悟りを開く気がないのだと誤解し、5人は釈迦を見捨てることにしました。

 

菩提樹の下で悟り仏教が始まる

体力を戻した釈迦は、菩提樹の下で瞑想しました。

釈迦は、「目的を達成するまでは、決してこの座を立たない」と決意します。

瞑想中、次々と悪魔からの妨害が入りましたが、釈迦の心は揺らぎませんでした。悪魔はずっと釈迦の心の隙を狙っていましたが、その隙は見つかりませんでした。

そうしているうちに、心は統一されついに12月8日に悟りを得たのです。釈迦は35歳になっていました。

悟りを開いた釈迦は、内容が難しすぎるから人には理解されないと考え、涅槃に入ろうとします。それに気づいた梵天という神が、釈迦を説得しました。

思いとどまった釈迦は、かつて一緒に修行をした5人に会いに行き説法を行います。初めは聞く耳を持たぬ5人でしたが、やがて釈迦の弟子になり仏教が誕生します。

釈迦の初めての説法を初転法輪と言います。

 

布教の旅から涅槃へ

釈迦は旅をしながら説法を繰り返し、弟子や信徒も段々と増やしていきす。信者には庶民から王族までいました。

釈迦の旅は45年も続き、80歳で入滅します。

弟子たちには「自らを灯火とし、頼りとしなさい。自らを拠り所としなさい。」という言葉を残しました。

 

仏教は生きるヒントになるかもしれない

釈迦は王子として生まれ、何不自由ない暮らしをしていました。でも、現代に生きる私たちと同様に、生老病死について悩み続けます。

人間はやがて、病んでしまったり老いて死んでしまう。

誰もが「そんなこと知っているよ」と思うかもしれません。

でも、「今日死ぬかもしれない。明日死ぬかもしれない。」そういう風に死と向き合っている人は、どれくらいいるでしょうか?

どこかで「今はまだ死なない」といった風に感じていませんか?

 

釈迦は恵まれた環境にいたからこそ、余計に死に対して恐怖を抱いたのではないかと思います。

 

死が怖い、いまの苦しい環境から抜け出したい。

そう考えている人は、仏教の教えを知ることで生きるヒントが得られるかもしれません。

次回からは、仏教の教えについて書いていこうと思います。

最後まで読んでいいただき、ありがとうございました。